鹿児島県枕崎市の自然に囲まれて育ち、家族や地域の温かさの中で「人を大切にする心」を学びました。幼い頃から、どんな時も笑顔でいることの大切さを父から教わり、その姿勢は今も私の原点になっています。
大学卒業後、NECで社会人としての基礎を学び、その後、単身California(カリフォルニア)へ。言葉も文化も違う環境で、挫折と挑戦を繰り返しながら、「努力すれば道は開ける」と身をもって知りました。
帰国後はCitibank(シティバンク)などの外資系金融機関で企画・管理部門を歴任。厳しい環境で鍛えられた判断力とマネジメント力。そして40年以上続けている瞑想で培った“心の整え方”は、今の議会活動の大切な基盤になっています。
1995年、娘の誕生を迎え川越へ。家族とともに歩んだ30年の中で、地域の皆さまの声に寄り添い続けてきました。その小さな声を政策につなげることが、私の変わらぬ原点です。
地域の声に寄り添う中で、「もっと市民の力になりたい」という思いが強まり、2011年に初めて市議会議員選挙へ挑戦。多くの皆さまに支えられ、初当選を果たしました。
1962年、鹿児島県枕崎市。海と山に囲まれた自然豊かなまちで、私は生まれ育ちました。地域の人たちが互いに助け合い、子どもを見守る温かい環境の中で、「人を大切にする心」が自然と身につきました。
幼い頃は決して裕福ではありませんでしたが、家族の愛情と地域のつながりに支えられ、“努力すれば道は開ける”という実感を少しずつ積み重ねていきました。
そしてもう一つ、子どもの頃から大切にしてきたものがあります。それは「笑顔」です。どんな状況でも笑顔でいることで周りの空気が和らぎ、人との距離が自然と縮まる──そんな姿を父が示してくれました。そしてその教えは、私自身も人生の中で何度も実感してきました。
大学卒業後、私はNEC(入社当時:日本電気株式会社)に入社しました。当時のNECは日本の技術を牽引する存在で、そこで学んだのは「基礎を大切にする姿勢」と「誠実な仕事の積み重ね」です。まだパソコンが一般家庭に普及する前の時代、技術者としての厳しさと面白さを肌で感じながら、社会人としての確かな土台を築いていきました。
この頃から、どんなに忙しくても「笑顔を忘れない」という自分のスタイルが確立していきました。笑顔は職場の雰囲気を変え、人間関係を円滑にし、チームの力を引き出す――そのことを実感した時期でもあります。
25歳のとき、私は単身でアメリカ・California(カリフォルニア)へ渡りました。言葉も文化も違う環境で、最初は何もかもがうまくいかず、悔しさや孤独を味わう日々が続きました。しかし、そこで出会った人々との交流や、必死に学んだ英語、そして仕事での経験が、私の人生における価値観を大きく広げてくれました。
そこで学んだのは、「違いを受け入れること」「相手を理解しようとする姿勢」「どんな状況でも前に進む力」。そして何より、カリフォルニアの人の明るさに触れ、“笑顔は世界共通のコミュニケーション”だということを強く実感しました。
帰国後は、Citibank(シティバンク)をはじめとする外資系金融機関で企画・管理部門の仕事に携わりました。世界基準のスピードと厳しさの中で、マーケティング、事業戦略、データ分析、組織運営――多くの経験を積み重ねることができました。
どれだけ大きな組織でも、最後に動かすのは“人の思い”だということ。そしてここでも、笑顔でいることがチームを前に進める力になるということを強く感じました。
1995年、娘の誕生とともに、川越に移り住みました。このまちで新たな家族を持ち、地域の皆さまと共に歩んできた30年、私の人生の半分の期間になりました。川越は、私にとって“第二のふるさと”です。地域活動に参加する中で、市民の方々の小さな声、日常の困りごと、まちへの思いに触れる機会が増えました。
「現場の声を政策につなげたい」。その思いが、私を政治の道へと導きました。
実は私は、20代の頃から40年以上、瞑想を続けています。十数年前にヨグマタ相川圭子さんの教えに触れ、心を整える習慣がより確かなものになりました。
忙しい日々の中でも心を静かに整える時間を持つことで、冷静な判断や、相手の立場に立って物事を考える力を育んでくれます。議会での議論や、市民の声を受け止めるとき、この“心の整え方”が大きな支えになっています。
そして瞑想は、笑顔を自然に生み出す心の余裕を与え、自然な心の状態へと導いてくれる、大切な習慣でもあります。
枕崎で育った「人を大切にする心」、NECで学んだ「誠実な仕事」、アメリカで得た「挑戦する力」、外資で磨いた「判断力とマネジメント」、川越で育まれた「市民と共に歩む姿勢」、そして人生を支えてきた「笑顔」と「瞑想」。これらすべてが、今の私の原点です。
そして今、私が強く思うのは、次の世代へ、より良い川越を手渡したいということです。私たちが生きる“今”だけでなく、これから育っていく子どもたち、そして私の孫たちが暮らす未来の社会が、安心できて、温かくて、希望を持てる場所であってほしい――その願いが、私の原動力になっています。
一人ひとりの声に笑顔で寄り添い、現場の課題に誠実に向き合いながら、市民の皆さまと共に川越の未来を切り拓いていく。その思いは、これからも変わりません。