対話でひもとく「人間・中原ひでふみ」
👩🏻 中原さん、こんにちは。ちょっと聞いてもいいですか、中原さんって結構長いこと市議会議員をやられていますよね。何年くらいになるんですか?
👨🏻💼 こんにちは。おかげさまで、皆様に支えていただき4期16年目を迎えました。もう、そんなに経ったんだなと感じています。😊
👩🏻 16年!それはすごいですね。それだけの期間やっていれば、いろいろと役職も経験されたんじゃないですか?
👨🏻💼 ありがとうございます。皆様のおかげで、この間に第90代の川越市議会「議長」という大変大きな重責も担わせていただきました。そして現在は、川越市の「監査委員」というお仕事を中心に務めさせていただいています。
👩🏻 へぇ~!「監査」ですか。なんだか言葉を聞くだけで堅苦しそうで、難しそうなお仕事ですね…(笑)
👨🏻💼 あはは、確かに堅苦しく聞こえますよね(笑)。でも実は、市民の皆様にとってすごく身近で大切なお仕事なんですよ。一言で言えば「皆様の大切な税金が、正しく、無駄なく、皆様のために使われているかをしっかりチェックする役割」なんですよ。
👩🏻 なるほど!自分たちが納めた税金がちゃんと使われているかを見てくれているんですね。それはすごく頼もしいです!
👨🏻💼 ありがとうございます。私は政治家として「財源なくして政策なし」という信念を持っています。だからこそ、税金の無駄を省き、未来への投資に回すためのチェックには一番情熱を注いでいるんです。
👩🏻 ところで、16年の間に一番印象に残っているできごとって何ですか?
👨🏻💼 そうですね。やはり「U-Place横の川越駅西口デッキにつながるエスカレーターの設置」ですかね。「もう無理かな?」と思ったこともありましたが、粘り強く役所の方々と話をして、何年もかけて実現させることができたのは、やはり、嬉しかったし、印象に残っていますね。
👩🏻 へ~っ。あのエスカレーター、ウェスタ川越に行った時の帰りに普通に使ってましたけど、設置がそんなに大変だったんですね。もう少し、詳しく話してもらえますか。
👨🏻💼 ありがとうございます。話せば長くなるので、こちらを、読んでみてください。「エスカレータ設置秘話」へ →
政治家になる前の姿(民間・外資系での実務経験)
👩🏻 ところで中原さん、こうして議員をやられる前は、一体どんなお仕事をされていたんですか?
👨🏻💼 はい、政治の世界に入る前は、ずっと民間の企業で働いていたんですよ。実は、外資系の金融機関などでリスク管理やコスト削減、ビジネスの仕組みづくりをする仕事をしていました。
👩🏻 えっ、外資系の金融ですか!?イメージと違ってビックリです!だから数字にうるさいんですね。(笑)
👨🏻💼 ははは、そうですね。実はこの民間での経験が、まさに私の原点なんです。民間時代に徹底的に叩き込まれた「感や経験だけに頼らず、数字とデータで客観的に裏付けるやり方」や「コスト意識」が、市政のチェックにそのまま生かせているんじゃないかなと感じているんです。民間時代に培った、その厳しい感覚があるからこそ、税金がしかるべきところに使われているか無駄遣いがないかしっかりと見ていかないといけないなと思っているんですよ。
👩🏻 外資系の金融で働いていたら、結果へのプレッシャーも強かったんじゃないですか。ストレス解消のため、なにかやっていたんですか。
👨🏻💼 実は、私、22歳の時から40年以上、朝夕の瞑想を日課としているんです。もちろん、どうしても出来ない日もありますが、ほとんど毎日実践しているんですよ。たまには、イライラすることもありますが(笑)、何もしていないよりは、穏やかな気持ちで仕事に向き合えているのかなと思っています。
👩🏻 瞑想ですか。私はやったことがないので分からないですが、最近では、世界的に有名な方も実践されているということを聞きますよね。私もやってみようかな(笑)。
👨🏻💼 ははは、良いですね。是非やってみてください。心が落ち着きますよ。これからも、瞑想も続けながら、できるだけ穏やかな心で、様々な課題の解決に向けてビジネス経験を活かしつつ、努力していきたいと思います。
情熱の原点(鹿児島・開聞岳と家族の絆)
👩🏻 民間での経験と日頃の瞑想が今の中原さんを形作っているのですね。でも、どうしてそんな中原さんが川越で政治家を目指そうと思ったんですか?
👨🏻💼 話は私の生まれ故郷に遡るのですが…私は鹿児島の枕崎という、開聞岳と東シナ海を望む自然豊かな町で育ちました。私の父は地域のリーダーとして、お茶の生産のための灌漑(かんがい)施設、通称「畑かん」を導入し、地域を変革していった人だったんです。
👩🏻 お父様が地域の改革者だったんですね。
👨🏻💼 はい。「畑かん」事業により目の前に広がっていく美しい茶畑と父の背中を見て、「誰かのため、地域のために挑む不屈の心」を学びました。その後、福岡大学の工学部電気工学科を卒業し、アメリカでの挑戦や外資系でのキャリアを経て、大切な家族と暮らすここ川越市に恩返しがしたい、街を良くしたいという情熱が溢れ出してきたんです。
👩🏻 鹿児島から福岡、アメリカ、そして民間企業での厳しい経験を経て川越へ…。中原さんの「お人柄」と「ブレない姿勢」の理由がすごくよく分かった気がします。これからも頑張ってください。因みに、もっと中原さんのことを知りたいのですが、どこかに記載はありますか?
👨🏻💼 ありがとうございます。少しでも市民の皆さんのためになれるよう、一生懸命努めてまいりますので、これからもよろしくお願いいたします。なお、詳しい経歴については、このすぐ下にある箇条書きのプロフィールや、文章で読める「中原ひでふみ物語」でご紹介しておりますので、ぜひご覧ください。ありがとうございました。
👩🏻 中原さん、身近な困りごとや市政への意見って、もっと気軽に相談できる窓口はないんですか? ❓
👨🏻💼 もちろんありますよ!LINE公式アカウントから、いつでも直接ご相談やご意見をお寄せいただけます ☝️LINEでのご相談・ご意見はこちらから⏩